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| 【九州の米焼酎】 |
| 「良いお酒を手造りで丁寧に造る。決して大量には造らない。」という方針。 「どこも機械化が進み、省力化を図っていますが、 それでは日本酒の伝統文化を伝えきれない」と語る7代目の小松大祐専務は 自ら杜氏として酒造りの先頭に立ち、すべてを手作業で行うという昔ながらの製法で、 信念を持った酒造りを実践しています。 全国メディアの影響で、淡麗辛口の酒がもてはやされる傾向にありますが 小松酒造が目指すのは、旨味があってキレのある、九州で好まれてきたお酒の その酒造りに対する並々ならぬ熱意で、復活したばかりの酒蔵で造った 大吟醸「万齢」(まんれい)は「平成10年福岡県国税局主催、春の鑑評会」で、 見事優等賞を獲得し、 平成12年度福岡県国税局主催鑑評会でも優等賞を獲得しました。 この受賞を励みに平成10年7月に特別純米酒「未来響」、 同年10月には特別本醸造「未来響」を次々に発表。 新しいブランドにも意欲的に取り組んでいますまた、 同年12月には、おそらく日本最古と思われる 大吟醸酒大古酒35年「万齢」も発売を開始しました。 焼酎も手造りで、純米焼酎の古酒を中心に造っていく方針で、 現在は、過去に自社で製造し、12年間穴蔵で熟成させた 純米焼酎「永遠の一瞬」(とわのひととき)を限定販売しています。 ろ過、加水を行わない原酒で、上品な米の風味とまろやかな味が特徴です。 また、吟醸酒の酒粕だけを使用した焼酎「逢地」(おおち)も新発売。 日本酒同様、焼酎の味も、うまさへのこだわりをもって復活しました。 全国鑑評会常連の老舗小松酒造の創業は江戸時代末期。 母屋の壁には大正から昭和にかけて新酒鑑評会の賞状が ズラリと並ぶ老舗です。 第二次大戦中は海軍御用達の清酒「宣揚」を造り、前線基地での兵士達に 愛飲された歴史もあります。 平成元年までは清酒「万齢」、焼酎「おおち」を醸造するとともに、 大手酒造メーカーの委託製造を引き受けるなどしていました。 しかし、清酒、焼酎の消費量の伸び悩みで、大手メーカーの取引を中止。 平成2年には清酒と焼酎の自社製造をも休造する事態となってしまいました。 休造から復活 平成7年、東京で証券マンをしていた長男の小松大祐専務が帰郷し、家業を継承。 当時は他社に委託製造していた酒を持って営業に出たものの、自分の売る酒に 自信が持てず、「自分の蔵の酒でなきゃ、これ以上売れない。もう一度酒を造ろう」 と決意。 広島の国税庁醸造研究所に入所し、酒造りの勉強を一からはじめました。 退所した後も、経験不足を補う為に、島根県の酒造会社に蔵人として入り、 酒造りの全工程を体得。 そしていよいよ平成10年からは専務自ら杜氏の役を担い8年間休造していた蔵を 復活させるにいたりました。 小松酒造のお酒造りの特徴なんといっても手造りが大きな特徴です。 麹造り、蒸したお米の放令、搾りなどすべて手作業で丁寧に行います。 また、原料たるお米の内、半数以上は山田錦などの酒造好適米を使用し、 その平均精米歩合は54%と全国平均(68%)より大きく上回っています。 少量の生産ではありますが、原料米にこだわり、大切に丁寧に心をこめた お酒造りをしています。 会社沿革 江戸末期 相知の創業(詳細不明) 大正〜戦前 海軍御用達となり、佐世保より前線基地にお酒が運ばれていた。 昭和30年 福岡県国税局鑑評会でほぼ毎年受賞していた 〜40年代 昭和60年 焼酎乙類の免許取得「おおち」を発売開始 平成2年 自社製造を中止 平成7年 次期7代目小松大祐、家業に就き、酒造りの修行へ 平成8年 「永遠の一瞬」発売 平成10年 年明けより8年ぶりに製造再開。初めて造った大吟醸が新酒鑑評会で入賞。 再出発の意味を込め「未来響」ブランド作成。「逢地」発売 「大吟醸大古酒35年」発売 平成12年 福岡県国税局主催鑑評会でも優等賞獲得 |
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