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| 自転車の歴史 |
![]() ![]() ドイツ人のカール・フォン・ドライス男爵が、ハンドルを切ることのできる自 転車を発明するこの自転車は「ドライジーネ」と呼ばれ、そのほとんどが木 でできており、重さは18kgあったその後1830年代まで乗られていたほど、 二輪車の発展にとって欠かせないものだった。 ![]() ![]() イギリス人のデニス・ジョンソンが、ドライジーネを改良して、特許を取得する。ジョ ンソンの改良したドライジーネは「ホビーホース」、 「ダンディーホース」と呼ばれ 親しまれていた。 ![]() ![]() イギリス人の鍛治屋カークパトリック・マクミランが、地面から足を離して乗ることのできる「後輪駆動の二 輪車」を発明する。ただ、実物が1台も残っていないため、この型が本当に存在したのかは未確認である。 ![]() フランス人のピエール・ミショーが、前輪駆動の「ミショー型自転車」を発明 する。この自転車は世界初の量産自転車となり、自転車工場が企業として 認められるきっかけを作った。 ![]() ![]() そのミショーのもとで働いていた、フランス人のピエール・ラルマンがアメリカへ渡り、自転車の特許を取得する。 ![]() 日本では、からくり儀右衛門(田中久重)が、二輪車と三輪車を製造する。パリのサンクルーでは、世界初 の自転車レースが行われる。 ![]() パリでは、史上初の自転車ショーが開かれ、自転車と部品の数々が展示され、パイプ・フレーム、泥除 け、ワイヤー・スポーク、前輪ブレーキなどがこの頃までに発明される。 イギリス人のレイノルドらが、のちのオーディナリー型自転車の先 駆となる「ファントム」を製造する。この自転車はこれまでの木製自 転車では考えられなかった構造をしており、車輪の両面に軽量の 鉄製フレームやワイヤースポークが張られたり、木製車輪にソリッ ドゴムタイヤが釘止めされたりしていた。また、同時期にパリの時 計製造人のギルメとメイヤーがチェーンを使って後輪を駆動させる 「セフティー型自転車」を発明する。 ![]() ![]() イギリス人のジェームズ・スターレーらが、オーディナリー型自転車の原型「アリ エル」を製作する。この自転車は時速23〜24kmで走ることができる画期的なもの だった。この“自転車の父”スターレーは、現在も使われているセンターステアリ ング型ヘッドを世界で初めて採り入れたり、その後も自転車の発展に大きな業績 を残すこととなる。日本では、竹内寅次郎が幕末ごろから外国人が持ち込んでい たものをモデルに自転車を製作し、「自転車」というブランド名を付けて販売を始める。 ![]() ![]() 日本では、竹内寅次郎が東京府へ大型自転車の製造・販売の許可を申請していた。 ![]() ペイリス・トーマス・オーディナリーが、より美しく、より軽く、より乗り心地が 良く、より速く走る「オーディナリーの完成型」を作る。フレームは鉄製のム クではなく中空のパイプで作られ、ゴム製のペダルやラジアルスポークが 採用されるなど、大幅に軽量化が進み、その重さは22kgとなった。日本で は、梶野仁之助が横浜蓬莱町で自転車製造所を開業する。イギリス人の ローソンが、現在の自転車のような、ペダルに取り付けられたチェーンの駆 動で後輪を回転させる自転車「ローソン3型」を発明する。ちなみに、このロ ーソン3型が実用に耐え得るようになるには、この後5年間の月日が費やされた。 ![]() ![]() イギリス人のオットーがダイシクル並輪車を発表する。この自転車は左右の大きな車輪 の間に乗り、車輪に取り付けられた左右どちらか曲がりたい方のベルトを緩めることによって、もう一方の車輪が速く回転 し、曲がりたい方向にスムーズに曲がることのできるものだった。安定の良さが受けて、すべての2輪車、 3輪車にとって代わる人気の乗り物となった。日本では、東京で第2回内国勧業博覧会が開催され、鈴木 三元、斎藤長太郎、坂口清之進によって自転車が出品された。 ![]() イギリス人のジョン・ケンプ・スターレー(ジェームズ・スターレーの甥)が、前後輪同径の自転車ローバー 号を製造する。この自転車はのちのセフティー型や近代自転車の原型となったもので、クランク軸・ハンド ル・サドルがバランス良く配置されている。 ![]() アメリカ人の自転車世界一周旅行者、トーマス・スチーブンスが来日する。日本では、東京で第3回内国 勧業博覧会が開催され、山崎治兵衛(製造者・梶野仁之助)、向山嘉代三郎によって自転車が出品される。 ![]() 日本でも、木製の国産オーディナリーが製造される。この自転車は、模様がつけられていたり車輪が黒漆 塗りにされていたりと高級感あふれる和製のものだった。 ![]() 日本でも、常陸国笠間藩のお抱え鉄砲師だった宮田栄助によって、セーフティー 型自転車が試作された。宮田は、もともと銃製造にたずさわっていたが、修理を したことがきっかけでセーフティー型自転車を試作するに至った。そのためフレー ム用のパイプは、鋼の丸棒に縦の穴をうがうという銃身と同じ製造法で作られていた。 ![]() ![]() 日本では、第一次世界大戦の勃発で自転車・部品の輸入が激減したため、国産車の量産体制化が始まる。 ![]() 日本では、日米商店の創業者、岡崎久次郎がイギリス車を手本にした国産車「富士覇王号」を製造する。 ![]() 三菱十字号を発売する。終戦後、軍需工場が自転車メーカーへ転身する中で、不用になった航空機用の 素材を流用し、造船技術を応用したこの十字号は革新的な自転車で、当時の自転車レースでも使用され て活躍し注目された自転車だった。 ![]() 「スマートレディー」まだまだ耙沢品だった自転車の月賦販売を始めたのが この自転車。当時10,000円を越える自転車は庶民が気軽に買える消費財 ではなく、月賦によってとくに女性の購買層を拡大することができた。 ![]() ![]() 日本では、1本構造のフレームでできた、男女兼用のミニサイクルが発売される。この自転車は、乗りや すい上に価格も低かったため、飛ぶように売れた。 |
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