小川八重子の「常茶」の世界

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小川八重子の「常茶」の世界

 
小川八重子(故人)は、「常茶会」の設立者です。
「常茶会」の「常茶」とは、「日常茶飯時」の言葉から、とったものです。
意味は、読んで字のごとし。「日常、毎日飲むお茶」という意味です。

「日常茶飯」という言葉は、
「とりたてて問題にすることでもない、当たり前のこと」
に使われる言葉ですが、考えてみると、

茶と飯は、空気や水と同じように、格別の存在を意識しないけれど、
常時身辺にあって、私たちの生を支えているものである。


ことの証左といえるかもしれません。

 しかし、「お茶」というと、
現在では、玉露や煎茶がもてはやされています。
逆に、ばん茶は、どうでもいい安物のお茶 という扱いがされています。
玉露や煎茶は、礼法茶です。これは、味わうためにある、ほんの少し
飲むお茶。日常ガブガブ飲むためのお茶ではないし、
また、たくさん、飲めるものではありません。

 普段、毎日飲むお茶には、ばん茶がふさわしい。

小川八重子は、お煎茶の茶道師範から、
「おばん茶」のおばさんに転身し、
余生を「おばん茶の普及」に費やしました。
 
■小川八重子の略歴

 1927年:京都市西陣の呉服問屋の次女として生まれる。

 1973年:最初の著書「煎茶入門」婦人画報社より、出版

 1974年:「世界の茶を楽しむ会」主催 於帝国ホテル

 1975年:「暮らしの茶」平凡社より出版

      この中で「常茶」の名、生まれる

 1980年:「常茶会」発足

 1982年:「くつろぎの茶」朝日新聞社より出版

 1992年:テレビ東京「レディス4」出演
     ※その他、数多くの新聞、テレビなどで、小川八重子の
        「常茶」に関する記事がとりあげられました。


 1995年:肺がんのため、永眠

 ※その後、夫である「小川誠二」が、彼女のあとを引き継ぎ、
 「常茶」の普及に努めている。
 小川誠二の著書:
  「小川八重子の常茶の世界」「日本茶を一服どうぞ」など



※上は、静岡県川根で、茶摘みをする「小川八重子」の写真


■小川八重子と「おばん茶」との出会い

 小川八重子は、昭和2年に京都市西陣の呉服問屋の次女として、生まれた。
結婚して東京に住むようになってから、娘時代に習った「お茶」への関心が芽生え、
師の縁で、出版社からの「お茶」の原稿を依頼されるようになる。そのうちに、弟子も
とるようになり、「煎茶教室」を開いた。

 稽古用に最上の煎茶「玉露」を使用した。ところが、お弟子相手に玉露を何杯か
飲み続けると、「これ以上は一口たりとも飲みたくない」という気分になる。それだけ
はなく、稽古があった晩は、胃がもたれ、寝付かれない。

「お弟子さんも、今日は胃の調子が悪いから、
体の具合が悪いからと言って、お茶をひかえますの。
何百年も愛用されてきたお茶が、このような『悪』
を引き起こすはずはないやろ、
なんやおかしいなァと思いまして、静岡に行きました」


 製茶の工程を観察して、女学校時代に習った「お茶作り」との相違点を見出す。かつての
人の手が、完全に機械にとってかわっていた。

 その後もつぎつぎに湧き出すお茶への疑問をおさえきれずに、80歳すぎのお茶作りの人々を
訪ねては、『お茶』問答を繰り返した。

「お茶の色って、どんな色やった?」

「そうやなァ。赤みや黄色みを帯びていたぇ」


お茶の色を尋ねて、自分が手にしているお茶碗を覗き込めば、鮮やかなグリーン色。
人々が「これこそがお茶」だと信じている、この緑茶は、どこか不自然なお茶ではないか?

「新茶は11月に決まっとる。5月に新茶を摘む?そんなもん水っぽくて飲めるもんじゃなか。
五月のお茶は茶壷に入れて、夏を越し、11月になって口切りしてから飲むもんじゃ」


という、老人たちの言葉。

 茶壷に入れておいたお茶の葉は、11月になると、十分に熟成されて赤み、黄色みを帯びてくる。
それは、自然の葉が落葉するときと同じ色合いで、自然の営みであるといえる。それに比べ、
五月の走りのお茶の葉を採って、気絶させ、冷蔵しては冬枯れのシーズンに、緑色のお茶
のみを賞賛する現在は、どこか不自然ではないか?



 お茶は、関東地方を北限として、全国津々浦々に栽培されている。
山間の辺地にまで、茶作りの人々をたずねるに連れ、大きな発見があった。

「それは、その土地の人たちだけが飲んでいるお茶でした。普通の流通経路で、
私たちが手に入れられるものとは違い、昔からの製法で作られている
独特のおばん茶は、一般には商品化されていません。
それを土地の人は、毎日何杯もガブガブと飲んでは、
『米の飯がなくては、一日として生きていけない』
と同じように愛着し、固執しているのどす。こういうお茶が『百薬の長』として、
大切にされてきたお茶なのどす。」

 小川八重子のお茶の視点は、ここに定まった。日本人が古来から大切にしてきた
「おばん茶」を、もっと多くの人に飲んでほしい。
それ以来、茶道師範として、弟子をとることをやめ、日本各地の「おばん茶」を求める旅が
はじまったのです。


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