こうして、反対運動が始まりました。参加市民は「国民は我々だ」をスローガンに、東ドイツの日常生活を物語る最後の象徴のひとつ、歩行者信号の撤去中止を訴えました。また、「アンペルメンヒェン救助委員会」も設立され、さまざまなクリエイティブ活動によって、この愛嬌のあるマークはさらに注目を浴びます。メディアもこの話題を取り上げたため、政治家や役所も事実に即した議論に応じざるを得なくなりました。
シンボルとしての明確さやアンペルメンヒェンの浸透度といった長所は、簡単に否定できるものではありませんでした。さらに、ずんぐりした体型と帽子をかぶった大きな頭部のおかげで、アンペルメンヒェンは西側の人型に比べてほぼ倍の大きさで光ります。これによって、特に子供にとって重要な認識性が高まります。
1997年、市民の人気者となったアンペルメンヒェンの救助運動は実を結び、引き続き交差点にその姿を残すこととなりました。今では旧東ドイツの州道や地方道路、そして西側でもごくわずかながら特定の交差点でアンペルメンヒェンが歩行者に合図を送っています。