【Ampelmann】 「進め〜」「止まれ!」旧東ドイツ生まれのアンペルマングッズ

【Ampelmann】 「進め〜」「止まれ!」旧東ドイツ生まれのアンペルマングッズ

旧東ドイツ生まれの アンペルメンヒェン (アンペルマン=歩行者用信号の人型マーク) は、ドイツ統一後、旧ドイツの多くの日常生活品とともに消え去ることとなりました。ですがこのマークの実用性や子供に好かれるユニークな形、そして東ドイツ国民の愛国心がここに人気グッズとしても復活することができました。

アンペルマン 
サッカーボール!
通常価格(税込) 11,550円
KIRIE得割価格☆ 5,040円
アンペルマン 
リストバンド
通常価格(税込) 1,575円
KIRIE得割価格☆ 780円

▼アンペルマン誕生ストーリーのご紹介

<< 旧東ドイツの信号機。1961年10月13日 交通量とともに増えつつあった交通事故を減らすことを任務としていた交通心理学者カール・ペグラウ(Karl Peglau)が この歩行者用信号を考案しました。

親しみやすいマークほど歩行者への効果が大きいことから、その形状については心理学に基づいて十分に検討がなされたそうです。

この人型の信号マークはすぐにその効果を発揮し、交差点ではもちろん、社会生活にも広く浸透します。交通規則をきちんと理解したという証明に、子供達に緑のアンペルメンヒェンの付いた最優秀賞バッジや特性キーホルダーが与えられました。幼稚園児もスタンプや塗り絵を通じてアンペルメンヒェンに慣れ親しんでいました。

しかしドイツ統一後、旧東ドイツの多くの日常生活品とともに、アンペルメンヒェンも消え去ることとなりました。西側の役所や政治家、交通技術者は、東の信号の人型マークに難癖をつけ、1994年には旧西ドイツやEUの人型マークへの転換が始まります。置き換えの根拠が、信号のマークにではなく、時代遅れの信号機の欠陥にあったにもかかわらず、西側の官僚たちはこれに耳を貸そうともしませんでした。

1996年、インダストリアル・デザイナーのマルクス・ヘックハウゼン(Markus Heckhausen)が撤去されたアンペルメンヒェンを引き取り、使い古しの信号のガラスでアンペルマン・グッズの第一号、赤と緑の信号灯を作りました。このランプへのメディアの反響は予想以上に大きく、この流れで信号機撤去の話が大々的に取り上げられたことから、姿を消しつつあったアンペルメンヒェンが市民の意識にのぼります。

こうして、反対運動が始まりました。参加市民は「国民は我々だ」をスローガンに、東ドイツの日常生活を物語る最後の象徴のひとつ、歩行者信号の撤去中止を訴えました。また、「アンペルメンヒェン救助委員会」も設立され、さまざまなクリエイティブ活動によって、この愛嬌のあるマークはさらに注目を浴びます。メディアもこの話題を取り上げたため、政治家や役所も事実に即した議論に応じざるを得なくなりました。

シンボルとしての明確さやアンペルメンヒェンの浸透度といった長所は、簡単に否定できるものではありませんでした。さらに、ずんぐりした体型と帽子をかぶった大きな頭部のおかげで、アンペルメンヒェンは西側の人型に比べてほぼ倍の大きさで光ります。これによって、特に子供にとって重要な認識性が高まります。

1997年、市民の人気者となったアンペルメンヒェンの救助運動は実を結び、引き続き交差点にその姿を残すこととなりました。今では旧東ドイツの州道や地方道路、そして西側でもごくわずかながら特定の交差点でアンペルメンヒェンが歩行者に合図を送っています。




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