【三星コラム】 「小林多喜二 三星で過ごした5年間」「よいとまけの生みの親 小林正俊の肖像」

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【三星コラム】 「小林多喜二 三星で過ごした5年間」「よいとまけの生みの親 小林正俊の肖像」

小林多喜二 三星で過ごした5年間 其の一


代表作「蟹工船」で知られる作家 小林多喜二(1903−1933)が三星とゆかりのあることをご存知でしょうか。明治31年、多喜二の伯父にあたる小林慶義は、秋田から小樽に渡りパンとお菓子の店「小林三星堂」を創業。順調に業績を伸ばし、小樽を代表するパン屋となりました。そこで慶義は、故郷で貧農にあえぐ弟一家を小樽に呼び寄せます。その一家の次男坊こそが小林多喜二でしたが、この移住の裏にはいくつかの事情がありました。
(次号へ続く)

多喜二が住み込みで働いた三星のパン工場

多喜二が商業学校時代に住み込みで働いた
三星の菓子・パン工場(小樽市新富町)
店の前に停まっているフォードのトラックには
三星の屋号がはっきり記されています。


小林多喜二 三星で過ごした5年間 其の二


代々小林家は秋田では大地主の家系でしたが、分家した多吉郎の長男 慶義(三星の創業者)が事業に失敗したことで田畑を失い、貧しい小作農へと転落してしまいました。慶義は傾いた家の始末を弟の末松(多喜二の父)に任せ、新たに事業を起こすべく上京するも、またしても失敗。いよいよ立ち行かなくなった彼は、当時活況に沸く北海道小樽へと向かいます。そして長男の幸蔵が町のパン屋で働き出すと、翌年、その支店を譲り受け、「小林三星堂」の看板を掲げました。
(次号へ続く)

小林家の故郷、秋田県川口。多喜二もここで生まれ幼少期を過ごした。

小林家の故郷、秋田県川口。
多喜二もここで生まれ幼少期を過ごした。


小林多喜二 三星で過ごした5年間 其の三


パン屋「小林三星堂」を開店し、商売も軌道に乗り始めた矢先でした。明治37年の小樽大火で店が全焼してしまいます。しかし慶義はここが勝負どころとばかりに、なんと火事の翌日、すぐさま新しいパン工場を建て始めたのです。 多喜二が住み込みで働いた三星のパン工場
他のパン屋が途方にくれている中、どこよりも早くパンを売り始めた三星堂は大繁盛し、小樽で一番のパン屋となりました。一躍成功者となった慶義。そんな彼の胸の内にも一点の曇りがありました。それは自らが招いた失敗のつけを背負わせ続けてきた、末松(多喜二の父)の一家への強い負い目でした。
(次号へ続く)


小林多喜二 三星で過ごした5年間 其の四


久しぶりに故郷秋田へ帰省した慶義(三星の創業者)は、弟夫婦の末松とセキに彼らの長男 多喜郎(多喜二の兄)を自らの元に引き取り、小樽の学校へ通わせたいと申し出ます。二人は幼い我が子との離別に躊躇するものの、息子の将来を考え兄の元へ送り出します。しかしあろうことか、多喜郎は小樽に渡って間もなく急性腹膜炎を患って急死。危篤の知らせに駆けつけ、息子の遺体を前にして泣き崩れる末松とセキ。慶義としてはこれまで苦労をかけた二人への恩返しのつもりが、とんだあだとなってしまいました。
(次号へ続く)

継祖母ツネと兄の多喜郎



小林多喜二 三星で過ごした5年間 其の五

 
末松(多喜二の父)は長男 多喜郎が急死したことで、過酷な百姓仕事や破産による心労で患った心臓の持病をさらに悪化させてしまいます。これでまたひとつ末松一家に対する負い目が増してしまった慶義(三星の創業者)は、末松一家全員を秋田から小樽の自宅(三星)へ呼び寄せます。
この時多喜二は4歳、

小樽移住記念写真。前列左から妹ツギを抱いた母セキ、姉チマ、一人おいて多喜二、後列左から二人目伯父慶義

心の故郷として生涯愛した街 小樽での生活が始まったのです。一ヶ月ほどの同居を経て、慶義は末松ら家族5人が暮らしていけるようにと、若竹町に建てていた別宅を、三星が卸したパンとお菓子を扱う小売店に改装し、彼等に譲りました。(次号へ続く)


小林多喜二 三星で過ごした5年間 其の六


慶義(三星の創業者)の計らいで小さなパン屋を構えた末松(多喜二の父)一家は、つつましくも明るく楽しい生活を送るようになりました。明治42年には多喜二の弟 三吾が生まれ、家族は6人に。

1969年頃の小樽若竹町

同じ年、王子製紙が操業を始めた苫小牧に商機を見い出した慶義は、小樽の店を長男 幸蔵に任せて移住。その3年後、次男 俊二を呼び寄せ駅前に苫小牧店を開店します。一方、小学校を卒業した多喜二は大正5年、慶義の援助をうけて庁立小樽商業学校に入学し、以後卒業までの5年間、住み込みで働いた三星の工場から通学しました。(次号へ続く)


小林多喜二 三星で過ごした5年間 其の七


伯父 慶義の家(三星の工場)に住み込み、登校前と帰校後に製パンや配達、買出しや掃除と忙しく働きながら通った商業学校生活は、多喜二に文学・芸術への志向と才能の芽生えをもたらしました。

小林三星堂(苫小牧駅前)

しかし経営者の身内である彼に同僚達が向ける目はどこか冷たく、学費を援助してもらう立場上良い成績で応えたいという重圧もあって、肩身の狭い5年間でもありました。そんな中最も熱心に取り組んだ絵画では、この道に進めば一家を成すのではと思わせるほど独特の作風がありました。ところが慶義の言い付けにより、情熱を傾けてきた絵筆を自ら折る事になります。(次号へ続く)

小林多喜二 三星で過ごした5年間 其の八


商業学校の卒業を半年後に控えた頃、慶義(三星の創業者)は甥の多喜二に絵を描くことを禁じ、将来の出世のために勉強に専念するようたしなめます。慶義には夜更かしして絵に熱中する多喜二の健康面への配慮と、過去に兄の多喜郎を預かって病死させたという痛恨の思いがあったからです。多喜二は絵を描けなくなった無念を押し殺しつつ、徐々に文学へ傾倒していきます。その姿は慶義の頑固な目にも「勉強」としか映りませんでした。

水彩画を描く多喜二(商業学校在学中)

その後、慶義の更なる援助を受けて高等商業(現小樽商大)に進んだのを期に、三星を離れ若竹町の自宅に戻りました。(次号へ続く)


小林多喜二 三星で過ごした5年間 其の九


多喜二は伯父の慶義(三星の創業者)から更なる援助を受け、高等商業(現小樽商大)へ進学。これを期に三星の工場での生活に別れを告げ、若竹町の自宅に戻りました。小樽高商での3年間は彼の人生ではじめて自主的な生活に恵まれ、広やかな展望の開けた時期でした。文学への熱意はより専心的となり、中央の商業雑誌に短編小説の投稿も始めるなど、精力的に活動しました。

若竹町の自宅で。
左から多喜二、父末松、妹幸、弟三吾、母セキ

卒業後は拓銀小樽支店に入行し、一家の生活にもゆとりが生まれましたが、間もなく父 末松が急死。多喜二は苦労のうちに終えた父の人生に悲嘆し、貧困や差別のない平等な社会への思いを自らのペンに託しました。(次号へ続く)


小林多喜二 三星で過ごした5年間 其の十


代表作「蟹工船」など社会の矛盾を鋭くえぐり出した問題作を次々と発表し、一躍人気作家となった多喜二。彼の作品には社会的弱者への深い同情と、搾取する側への強い怒りが込められていました。しかし、激しく右傾化する社会に誠実に対峙した結果、権力の手により29歳の若さで命を絶たれます。・・・彼がもし文学ではなく絵画の道に進んでいたら、いや、それ以前に小樽への移住や進学が無ければ・・・。故郷の秋田から呼び寄せて進学を援助し、絵描きをとがめた伯父の慶義(三星の創業者)と多喜二の生涯に、皮肉な因縁を感じずにはいられません。

東京杉並区馬橋の家で(28歳頃)

このコラムでは、私たち三星と小林多喜二という著名な作家との意外な接点に焦点をあててきました。今後皆さんが小林多喜二について想う時、ほんの少しでも三星のことを思い出して頂ければ、幸いです。(おわり)





「仕事に惚れ、郷土に惚れ、女房に惚れる」
初代三星社長 故小林正俊は三星のマークである三つ丸を、この無骨で人間味のある言葉でそう表現しました。
そんな彼が地元苫小牧への想いを込めて作り上げたお菓子が、今年で発売から58年を迎える「よいとまけ」です。
正俊が抱くふるさと苫小牧の原風景は、子供の頃よく口にした自生のハスカップのすっぱい実、そして王子製紙の作業現場から聞こえてくる労働者たちの「よいとまけ」の掛け声。太くて重い丸太を積み下ろしする際に掛け合うこの勇ましい声は、夜明けから日没まで絶え間なく続き、それは人々に朝が来たことを伝え、日が暮れたことを伝えてきたのです。
「俺が苫小牧への気持ちを作品に表すなら、それはハスカップを使ったお菓子以外には考えられない。その名前は『よいとまけ』のほかはありえない」
地域に根ざしたお菓子作りに取り組んだ正俊ですが、酸味が強く、風味が少なく、皮が薄くほとんどが水分というハスカップの利用に、大変な知恵と苦労を伴いました。
様々な試行錯誤の末、ロールカステラの外側にハスカップジャムを塗りこんだお菓子「よいとまけ」が完成し、昭和28年、正俊は自信を持って発売に踏み切りました。
ところが店頭に並ぶや否や、お客様から苦情が殺到します。ジャムを内巻きにしたらどうか。あらかじめ切っておいてはくれないか。 しかし正俊はそのつど根気よく、丁寧に説明しました。
「そんなことおっしゃらずに、よぉくこの形と色を見てください。力強さがあって、しかも美しいでしょう。多少指が汚れたって舐めてしまえばいいんです。この町を思いながら、もう一度食べてください。お願いします。」「このロールケーキは丸太ん棒、みんなが汗水たらして持ち上げていた丸太です。そう、この苫小牧の象徴なんです。そしてこのお菓子の名前はよいとまけ。つらい労働をしながらこの町を支えてくれている彼らを応援するお菓子なのです。」
正俊の熱のこもった説明の甲斐もあってか、いつしかよいとまけは三星を、そして苫小牧を代表する銘菓となり、今日まで親しまれております。

 

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