■□■ カステラの歴史 ■□■≪何故、長崎でカステラが焼かれるようになったの?≫


■□■ カステラの歴史 ■□■
≪何故、長崎でカステラが焼かれるようになったの?≫

≪カステラが長崎にやってきた頃≫━1━

≪◆カステラが長崎で焼かれるようになった訳◆=南蛮貿易=≫━2━

 なぜ、南蛮菓子が、長崎より前に入津した、鹿児島、府内(大分)、平戸に
伝わらず、長崎に伝えられたかというと、
まず、70年間という長期にわたって、ポルトガル人が長崎に居住したということが
あります。
 そして、そのキリシタン領の長崎には多くの教会が立ち並んでいた時期があり、
ヨーロッパでも 主に修道院で ハレの日(祝いの日)にしか、作られない菓子が
長崎で作られ、長崎の町の人々の間に伝えられていったからでもあります。


 ポルトガル人追放後、空家となった出島にはオランダ人が入り、鎖国の後
日本で、唯一の開港場となった長崎は、オランダ貿易、中国貿易を独占する
窓口となりました。


 南蛮貿易というのは、ポルトガルの商品と日本の商品の交易というわけではなく
主に、これまで倭寇が受け持っていた、日本と中国、東南アジアとの、
ポルトガル人による中継貿易です。
帆船による航海で、風待ちのため、ポルトガル人の
インドでの本拠地ゴアからの 一往復に2年を要したといいます。

 
 南蛮船、唐船は、バラスト(底荷)として、はじめは石灰を持ってきておりましたが
砂糖が喜ばれることを知って、多量の砂糖を東南アジアから持ち込まれることになり、
江戸期を通じて、長崎は菓子育成の特別の土地となりました。

 
 南蛮菓子として、伝えられたカステラとはまったく違う『長崎カステラ』というものが、
長崎で新たに作られたのも、そのような事情があったからです。 ・・・つづく・・・


━3━≪南蛮菓子と砂糖≫
━4━≪昔のカステラ・今のカステラ≫
━5━≪五三焼きについて≫

◆◇◆松翁軒のカステラ ◆◇◆
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カステラとチョコラーテのお詰合 カステラと抹茶カステラのお詰合