「清宮さんの写真1枚でもみせてくださいませんか?」と尋ねてみたら、「そういえば、親父のアルバムとノートがあるよ。」と昇さんが出してくださったのが、15冊のノートと分厚いアルバムたち。「いちにち」と名づけられたノートは、清宮さんの日々の日記であり、また自然農法の記録誌でもありました。アルバムは昭和49年から作られていました。畑の様子、作物の様子が年月を追うごとに変わっていった様子が写真に残されているのです。
これを見て本当に驚きました。清宮さんがどんなにすごい方だったかということが一目瞭然。誰に見せるでもなく、自分のために、自分がよりよい作物を作るために、日々の記録を綴られていたのです。
昭和40年代、デジカメなんてなかった時代に、
写真を撮り、現像し、それを整理して残すというのはとても労力のいることだったことでしょう。
この、日記とアルバムの存在は、弊社の誰もが知りませんでした。大切にお借りして、社内で皆に見せたところ、皆も驚きの声をあげていました。「これは清宮さんだからできたことだ。 これは、「自然農法」にとって、かけがえのない宝物だ。」と、目に涙をにじませる者も。
実は清宮さんは、子供の頃から「弱視」という、目に大きな障害をかかえていらっしゃった方なのです。字を書く際には、紙ギリギリに顔を近づけて書いていらっしゃったそうです。そんなハンデを抱えながら、毎日日記をつづっていらっしゃったとは・・・、信じられない思いがしました。
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「自然農法」の記録」である、清宮さんの日記。
昭和45年から平成6年まで、ほとんど毎日記録されていたもの。

清宮さんのアルバム。一番最初の1枚は、
昭和49年に撮ったもの。
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毎日の日記の内容は「お天気」のこと、農作業のこと。
「9月10日 どんより暑い。一日中白菜の間引き。終わる。」というような、簡単に一行だけの日もありました。しかし、その行間に込められた、清宮さんのいろいろな思いが心に響きます。
また、清宮さんのお母さんがご病気で危篤という尋常ならぬ際も、お母様のご様子と共に、畑に関するの記録が必ずあります。 |