へんろ編集部より、遍路のコラムです。

月に二回程度、遍路、四国に関する情報を掲載いたします。

 



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リュックを背負い、鳥坂峠に向う落合さん、ニコラさん、大原さん(前から)
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 No.91 フランスの青年が復興祈願遍路(2012年5月1日)

 東日本大震災から一年経った3月11日、フランス人ニコラ・シェンヌさん(27)が復興祈願の歩き遍路に出ました。同行するのは日本の友人、落合加奈さん(30、宇都宮市)と大原直人さん(28、富士宮市)。ニコラさんは大の日本贔屓。幼い頃の病気から両足に障害があり、二本の杖を頼りに歩きます。
 大震災以降、ニコラさんは「自分に出来ることはないか?」と落合さんらと相談を重ね、復興祈願遍路に来日したのです。「がんばれ日本」の幟を背負い、納札の願意は「peace for japan=日本の平和を祈る」、名刺には「一歩一笑」とあります。出発当初はたどたどしい般若心経で、しかも杖を頼りに歩ききれるのか、傍目には不安が一杯でした。
 40日後、明石寺から鳥坂峠を行く三人と出会いました。さらに5月1日、石手寺から太山寺、圓明寺を打ち、近くの公園にテントを張りました。日焼けした顔はずいぶん逞しく見え、彼らのお勤めは実に堂々たるものでした。
 5月下旬の結願を目指していますので、もし出会うようなことがあれば温かいエールを送ってあげて下さい。(一)

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福運をもたらす太三郎狸
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 No.90 福運をもたらす太三郎狸(2012年4月1日)

 屋島は瀬戸内海国立公園に位置する、海抜293メートルの半島形溶岩台地。唐の名僧・鑑真和上が天平勝宝五年(753)十二月に来日し、翌六年二月に東大寺へ船で向かう途中に屋島に立ち寄り、山上から立ち上る瑞光を感じて北嶺に登り普賢堂を建て、普賢菩薩を本尊として経典を納められた。この第84番札所屋島寺本堂横には、赤い鳥居が並ぶ「蓑山大明神」が建っている。アニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」にも登場した太三郎狸を祀る神社だ。屋島の太三郎狸は、佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸と共に日本三大狸と称されている。その昔、弘法大師が四国開創の時、霧深い屋島で道に迷われ、蓑笠を着た老人に山頂まで案内された。この老人こそ太三郎狸の変化術の姿であったという。屋島に異変があるとき、事前に住職にしらせたという屋島太三郎狸は、一夫一婦の契も堅く、夫婦円満や縁結び、子授かり、福運をもたらすと伝わり、「仲良しお目出た狸」を屋島寺納経所で授与している。(石)

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本堂内陣の鴨居にある左甚五郎作の龍
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 No.89 キリシタン灯篭と左甚五郎の龍(2012年3月1日)

 五十三番圓明寺は民家が立ち並ぶ街中にあり、境内はさほど広くはありませんが、見逃さないでほしいものがあります。
 仁王門を入って左側には、マリア像を浮き彫りにした十字のキリシタン灯篭。キリシタン禁制の時代、この辺りには隠れ信者が多く、密かに拝んでいたのでしょう。寺側も知らぬはずはなく、黙認していたのです。いいお話ではありませんか。
 本堂内陣上部に横たわる三間余の龍は左甚五郎の作。同寺は度重なる兵火ののち、土地の豪族・須賀重久によって現在地に再興されたのが元和元年(一六一五)ですから、龍はこの当時のものと思われます。明治の廃仏毀釈を経て現在の大師堂が再建されたのは明治十七年(一八八四)、本堂は同四十一年ですから、この間「龍」はどうしていたのでしょうか。
 お寺の歴史は非常に面白いと思うのですが、多くの場合「明治の神仏分離令、廃仏毀釈」で行き詰ってしまいます。当時の状況はよく分かりませんが、「愚かなことをしたもの」とつくづく思ってしまうのです。(一)

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汗かき地蔵尊と姿見の井戸
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 No.88 汗かき地蔵尊と姿見の井戸(2012年2月1日)

 世界遺産高野地区となる、一の橋から奥之院弘法大師御廟までは1.8キロ。樹齢八百年以上の巨杉と高野槙に覆われた石畳の両側には、大小、新旧、数十万基ともいわれる石塔が立ち並んでいます。歴史に名を連ねる戦国武将・大名・高僧・宮家などの墓碑が静かに佇む中を弘法大師御廟所へと向かいました。明智光秀供養塔を過ぎ、中の橋を渡った左手にある「汗かき地蔵尊堂」には、約60センチ余りの五輪形の石に彫られた汗かき地蔵とよばれる地蔵尊が祀られています。この尊像は、衆生が犯した罪の苦しみを身代わりとなって受けて下さいます。その苦しみのため、毎日巳の刻(午前9時〜11時)になると必ず汗を流すといわれます。その傍らにある小さな井戸は「姿見の井戸」と呼ばれ、弘法大師空海が高野山に登ったときに掘られた井戸と伝わります。噂ではこの井戸をのぞき込んで、自分の顔が写らなければ3年以内に死んでしまうとか…。恐る恐るのぞき込むと、自分の姿が映り一安心です。(石)

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浦ノ内小の5・6年生(左端は植田校長)
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 No.87 浦ノ内小学校の良心市(2012年1月4日)

 36番青龍寺から宇佐大橋まで戻り、浦ノ内湾北側を西に5キロ、県道23号沿いの小高い丘の上に浦ノ内小学校があります。入り口には高知県でよく見かける良心市の黄色い棚台、商品は5・6年生が平らな小石に顔を描いたお地蔵さんのお守り。お遍路さんに「どうして歩いているのですか」と問いかけ、返信用はがきが学校あて届く仕組みになっています。
 良心市を開店したのは2003年。この間、500以上のはがきが返ってきました。お守りのお礼に加え、最近目立つ内容は東日本大震災関連。「亡くなられた方たちのご冥福を祈って」「募金だけで終わりにはできず、遍路という形で祈っている」「自分が歩いて辛い分だけ、誰かが助かればいい」など。
 さらに「亡くなった母から聞いていた遍路の話を思い出して」「体を動かしたい、見知らぬ土地を訪ねたみたい。そして自分を見つめてみたい、そんな気持ちが一つになって四国に来ました」「あきらめず、何度にでも区切って歩きます。みなさんも人生を諦めることなく、周囲の人にも優しくして…」。
 返信は20歳代から80歳代の幅広い大人から届きます。小学生の質問に対し、大人は真剣に向き合って答えているのです。お遍路さんに伝わるメッセージがいかに大きいかを物語っている、と思うのです。
 植田栄一校長は「豊な感性は、幼いころほど大きく育つ。近年は学力優先で時間的なゆとりはないが、お遍路さんとのふれあいなど人間的な体験から“自分を大切にし、人を大切にし、世の中を生きぬく力”を身につけてほしい」と語っていました。(一)

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道後温泉 夕暮れ時
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 No.86 観光名所を巡る、道後の旧遍路道(2011年12月1日)

 第51番石手寺から道後温泉本館までは約1・3キロ。本堂左の石段を上がり旧遍路道を歩いて行くと、日本三大八幡造りの一つ「伊佐爾波神社」(国指定重要文化財)の境内に出る。奥の石段から時宗の開祖・一遍上人の誕生地「宝巌寺」へ向かう。遍路道は緩やかなネオン坂を下り、道後温泉本館の裏通りに出て、本館の西から南正面に回り込み道後商店街へと続く。
 道後温泉本館は、遍路道沿いにある国指定重要文化財の温浴施設。足に傷を負った一羽の白鷺が、岩間から湧き出ている温泉で傷を癒したのが始まりという名湯。館内には庵治石と大島石の浴槽「霊の湯」、銭湯気分の大浴場「神の湯」がある。入浴は、神の湯階下400円〜霊の湯3階個室1500円の4コース。小説「坊っちゃん」で松山の田舎ぶりをからかった夏目漱石も温泉がとても気に入り、湯舟で泳ぎ、団子を食べて楽しんだという。漱石ゆかりの「坊っちゃんの間」や皇室専用「又神殿」などの見所もいっぱい。(石)

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