「私、結婚して突然日本を出て東南アジアを二年八ヵ月放浪しました。興味があった東洋医学やタイ式マッサージを学びながらの旅でしたが、インドで長女の愛が産まれ、帰国しました。一年間タクシーの運転手のかたわら、整体や健康相談もしていたのですが、たまたま健康食品の会社から漢方薬局の責任者として声をかけられました」
着任当時は月に100万円ほどの売上げだったのを中川さんが担当した1年半で月300万円と3倍に月商を増やした。自然療法に関して詳しい知識をもち、懇切丁寧に対応したのが好成績につながったのである。
長女がアトピー性皮膚炎であったため、その対策を探しているうちに、炭のよさを知った。フリーマーケットでは、趣味と実益を兼ねて炭の販売もしていた。
だが、偶然の出会いは必然だったのか。勤務先に出入りしている医者から、和歌山県の炭やき師、玉井元次さんを紹介してもらった。玉井さんとのやりとりは今も忘れられない。
「炭をやくことにかけては自信がある。だけど、売ってもらう人がいないと、こんな商売はなりたたへんなあ」と玉井さんがポツリ。
「ほな、私が売りますわ」。そこで、勤務先にも許可を得て、1999年11月インターネットでの販売を開始したのである。
やるならば徹底的にやろう。そう心に決めて、パソコンも3ヵ月間で必死にホームページの作り方を覚えた。
キーボードくらいはなんとか打てたのですが、遊びでパソコンにさわるのと、私みたいに、生きるためにパソコンを覚えるのでは気迫が違いますよね。会社から夜遅く帰宅した後、注文のメールが入っているかを確認し、発送するという日々でした。
ホームページを開いたきっかけは、母が体調を崩し仕事をやめざるをえなくなったので、なんとか楽にしてあげたいと思ったからです。私の給料も手取り15万円以下だったので、せめて母の給料分と自分の手間賃をあわせ、10万円もあればと期待していました」
それで、最初の注文は?ときくと、忘れもしない12月16日ですと言って、注文書を見せてくれた。「1ヵ月たち、ようやく注文が入ったときは興奮しました(笑)。1万円でした。その次の注文はまた間があいて、1月23日、風呂用備長炭など計6200円でした」
よくホームページを開設しても、思ったほどには売れないという話を聞く。インターネット通販で売れる秘訣は、送料をかけてもほしいと思わせるだけの商品を扱うことである。どこにも売っていないか、またはどこよりも安い商品であるか。炭は健康志向にのってブームになっているとはいえ、納得して購入してもらうには、説明が必要な商品である。
中川さんは自然療法的な面から身体によいものはないかと探していたら炭と木酢液に行き着いた。いわば、これまでの炭の販売者とは炭と出合ったプロセスが違うので、よかったのではないかと分析する。
燃料としての炭よりも、健康な生活を送るために、炭をいかにしてとりこんでいくか、その情報量ではどこにも負けないページをめざした。そして、「炭や木酢液は魔法の特効薬ではない。それだけでは治らないので、食べもの、生活習慣から見直していきましょうよ」という姿勢を打ち出し、「炭や木酢液をパーツ(部分)として取り込む」というアプローチで、様々な工夫を提案したのである。
また、実際に使ってみた人の体験談に謝礼を出し、ホームページにも掲載することにした。たとえば木酢液では、トイレ掃除に用いて効果があったこと、天井裏にまいてネズミがこなくなったこと、入浴剤として用いて皮膚病などがどう改善したかなどと逐一報告が寄せられた。
薬事法という厚い壁がある中、炭と木酢液のアピールを精一杯している。
小さな、小さな積み重ねがやがて実を結び始めた。「こんなものがある」「当社製品を扱ってほしい」と取扱商品が増えるにつれて、注文も増えていった。
中川さんからは、「出会いに感謝しています」の言葉が何度も発せられたが、ホームページに来訪し、注文をリピートしてくれる客に対しても、出会ったことがないのにと感謝の気持ちでいっぱいだそうだ。かくて、初めの月に売上げが1万円だったサイトが、一年経過後月に250万円前後を売り上げるサイトになった。そして、ついに会社を退職し、2000年11月、店をもつことができたのである。
店に関しても、嵯峨野の物件にあわや決めようとしていたときに不動産会社より電話があり、店を見に来て一目惚れしたそうだ。しかも「幸運」としか言いようがないほど家賃も手ごろ。一階の手前が店舗、奥が自宅、そして二階が倉庫になっている。この店がゆきえ夫人とともに築くこれからの砦になる。