玉井さんは13歳の時から炭焼きの仕事をしてきた。
当時は、今のような炭づくりとは比較にならないくらい厳しいものだったという。炭焼きを営む人は1年半くらいの周期で山から山へと家族をつれて回った。小学校を6年で卒業するまで10回あまり学校を変わった。勉強している時間などはまずなかった。
正直言って炭焼きという仕事を好きではなかった。
15、16歳の時が一番嫌だった。この仕事から逃れるために海軍に志願。兵隊になった。終戦はフィリピンの山奥で迎えたが、玉井さんは持っていた炭でなんでも焼いて食べていた。ある時、隣の兵舎の人は病気になって死んでいくのに、玉井さんの所では圧倒的に死者が少ないのに気がついた。
ウバメガシを切る
「この差は食べ物にあると思った。つまり炭で焼くことによって食べ物を消毒することになり、結果的に良かったんやと・・・」
炭はありがたいものだと感謝するようになり、戦後、昭和24年から本格的に炭づくりに取り組んで約50年が経過する。
「すいぶん長い間、炭焼きとかかわってきたけど、苦労ばかりやな。とにかくね、備長炭というのは、つかみ所のないもんや。奥が深い、深すぎる。だからいまだに満足できる炭ができてない。これが俺の炭かなあと思うのは年に2回くらい。それはもう大切にとっておきたい。売りたくない。それほどいとおしいもんや」
窯の様子
玉井さんは1本の炭を取り上げて、指先で軽くはじいてみせた。カンカンという金属音。備長炭の硬度は18度から25度くらいはあるという。鉄の硬度が20度というから鉄より堅いことも。
「この音が大切なんや。瀬戸物の音がしたら、もう駄目。青銅の音が良い。余韻の残るような音になれば、満足できる炭」
といって耳をすませた。
窯をふさぐ |