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抹茶の歴史をわかりやすく解説|発祥は中国?日本だけの文化?

公開日:2025/03/22 更新日:2026/08/11
今や「MATCHA」といえば多くの国で伝わるほど、日本を代表する飲み物ですが、そもそもいつから日本で飲まれるようになったのでしょうか?本記事では、知っているようで知らない抹茶の歴史についてわかりやすく解説します。

日本の抹茶の歴史について【年表で紹介】

まずは、日本における抹茶の歴史を時系列順に解説します。

【平安時代】

そもそもお茶の発祥は中国といわれています。日本よりもずっと昔からお茶を飲む文化がありました。当時、お茶は嗜好のためよりかは、体調を整えたり病気を防いだりする薬のような意味合いで飲まれていたようです。 805年に、日本から唐に渡った弘法大師の空海がチャノキの種子を持ち帰って植えたのが日本でのお茶の始まりとされています。しかし、当時においてお茶は上流階級などほんの一部の人しか飲めない貴重な存在でした。

【鎌倉時代】

鎌倉時代になると、栄西という僧が禅の修行で訪れた宗からチャノキの種子を日本に持ち帰り、栽培を始めました。 日本でもお茶文化を普及させるため、栄西は宗で得たお茶の知識を『喫茶養生記』という茶記に残しました。喫茶養生記には、お茶の育て方や飲み方、効果効能などが書かれています。 栄西が広め始めたお茶文化は、栄西の弟子である明恵上人(みょうえしょうにん)によってさらに発展を遂げます。明恵上人は栄西からもらったチャノキの種子を、京都府の栂尾(とがのお)に植えて栽培を始めました。このお茶は栂尾茶(とがのおちゃ)とよばれ、そのクオリティの高さから人気を博しました。 さらに明恵上人は、お茶の栽培場所を栂尾から同じ京都府内の宇治に移しました。明恵上人は宇治の人々にお茶の栽培方法を伝授し、これがのちの宇治抹茶を含む宇治茶につながります。

【室町時代】

室町時代には、村田珠光(じゅこう)という人物により、「わび茶」とよばれる茶の湯が生まれました。 それまでの茶の湯では、華美な茶道具や広い茶室が一般的でしたが、わび茶は正反対で地味な茶道具や小さな茶室が好まれました。 また、正確な時期はわかっていませんが、15世紀~16世紀頃には宇治で被覆栽培(覆下栽培)が確立されました。被覆栽培とは、チャノキによしずや、こも、藁などの覆いをかけて直射日光が当たらないようにする方法です。直射日光に当たらずに育った茶葉はテアニンが豊富になるため、甘みや旨みが多くなります。そのため抹茶の味はまろやかで甘くなるのです。

【安土桃山時代】

村田珠光が生み出したわび茶は、孫弟子である武野紹鴎(たけのじょうおう)によってさらなる発展を遂げました。さらに武野の弟子である千利休がわび茶を確立。千利休は、お茶席で抹茶をふるまうことを「相手に対する大事なおもてなし」と考え、その心得を弟子たちにも伝えたといわれます。こうしてわび茶を含む茶の湯(茶道)が発展し、抹茶を使ったおもてなしも普及しました。

【明治時代】

明治時代に入ると、宇治だけではなく愛知県の西尾市でも抹茶の生産が盛んに。今や西尾は、宇治と並ぶ国内有数の抹茶の名産地となっています。

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