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津軽塗~江戸時代から受け継がれる伝統工芸品~

公開日:2025/06/02 更新日:2025/06/17
津軽塗(つがるぬり)の始まりは江戸時代中期、弘前藩の第四代藩主である津軽信政公(1646~1710年)の時代にまで遡ります。 当時は元号が寛永から正保へと変わり、寛永の大飢饉を終えた江戸幕府の基盤がようやく落ち着きつつある中、商工業が徐々に発展の兆しを見せていました。 同時期整えられた参勤交代の制度と、それに伴う街道整備によって流通が大幅に拡大。日本全国で多くの工芸品が誕生し、首都から地方まで急速に普及し始めました。 津軽信政公は弘前の産業を育成するべく、全国各地から職人及び技術者を招き、1676年頃には弘前城内の一角に塗師の作業場を置いていたことが、当時の図面から明らかにされています。
津軽信政公によって若狭国の小浜藩(現・福井県)から招かれた職人のひとり、初代源兵衛こと池田源兵衛の息子源太郎が、招致早々に江戸で客死した父の遺志を継ぎました。 各地で漆工芸の修行を積む過程で、青海一門の一子相伝の秘事「青海波塗」を伝授され、弘前藩へ戻った源太郎は師の姓青海と父の名源兵衛を継いで青海源兵衛(二代目源兵衛)を名乗り、最先端の技法を用いる津軽塗の原型を手掛けます。 信政公の真摯な取り組みと青海源兵衛の弛まぬ努力が、今日まで実に300年以上続く伝統工芸品「津軽塗」の礎となったのです。 なお、津軽塗という呼び名は、1873年開催のウィーン万国博覧会へ六代目源兵衛が手掛ける作品を展示した際に付けた名称であり、ここから津軽塗の名前が広く知られるようになりました。
幕末から明治にかけて行われた廃藩置県、世界恐慌に大規模な第二次世界大戦と、激動の時代を乗り越えていく内、華やかに発展していた弘前の漆器産業には衰微の影が忍び寄ることとなります。 特に、大戦における軍需産業中心の経済統制で大きな打撃を受けました。 戦後、再び商工業の発展へと繋がる環境整備が進みます。しかしながら大量生産・大量消費が当たり前となり、古くから伝わる数多の伝統工芸品が次々に姿を消してしまいます。 そんな中、実用性と耐久性に優れた津軽塗産業は脚光を浴び、かつての活況を取り戻しました。高度経済成長期には需要と供給が折り合わず、人手不足が深刻化したほどです。 さらに1975年制定の伝統的工芸品産業振興法により、経済産業大臣指定伝統工芸品に選定されたことを契機として、津軽塗産業が抱える諸問題(生産体制の非効率性など)を改善する試みが行われました。
以後、現在に至るまで、津軽塗は青森県を代表する伝統工芸品としてさらなる発展の道筋を辿っています。 津軽塗の特徴は何と言っても実用性が高く大変丈夫でありながら、外見が非常に優美な漆器であるという点です。漆を数十回塗り重ねて研磨を施すことで、色漆の美しい模様が浮かび上がり、丈夫で美しい漆器に仕上がるのです。 津軽塗の原型が生まれた頃、実に様々な技法と塗りが生み出されましたが、現代まで伝わる技法は4種類に留まります。 代表的な唐塗(からぬり)、江戸小紋風の粋な七々子塗(ななこぬり)、現代では数少ない紋紗塗(もんしゃぬり)、華やかで豪奢な錦塗(にしきぬり)。 これらはすべて「髪漆(きゅうしつ)研ぎ出し変わり塗り」を基本とし、漆を数十回塗り重ねて研磨を施す過程は同一であり、300年以上変わらず受け継がれてきた伝統製法です。
現在、日本各地で製造される漆器の多くは塗装した上に模様を施したものですが、津軽塗は「模様であり、塗りである」特徴が際立ちます。 大切な伝統を受け継ぎながらも、新しい技法の開発、現代のライフスタイルに合わせた製品づくりなど、津軽塗を未来へ繋げるための取り組みを日々続けています。 津軽塗が持つ奥行きのある風合いは、津軽塗ならではの滋味あふれるもので、ひとつ手に取ればもうひとつ欲しくなる不思議な魅力のもと、日本はもちろん世界中から愛され続けています。

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更新日12/0912/0212/08集計