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無垢材家具と工芸 箱屋の八代目
トピックス
(読み物)1300年つづく手仕事の記憶 ― 飛騨の匠から、曲木家具の椅子へ
無垢材家具と工芸 箱屋の八代目
トピックス
(読み物)1300年つづく手仕事の記憶 ― 飛騨の匠から、曲木家具の椅子へ
(読み物)1300年つづく手仕事の記憶 ― 飛騨の匠から、曲木家具の椅子へ
公開日:2026/07/10 更新日:2026/07/14
飛騨高山で家具をひとつ手に取ると、そこには二つの時代の記憶が重なっている。 ひとつは、奈良の都がまだできたばかりだった千三百年前。もうひとつは、まだ鉄道すら通っていなかった大正時代、山あいの町に西洋の椅子づくりが伝わった日。この記事では、その二つがどうつながっているのかを、飛騨産業の工芸伝承館に残る資料をたどりながら書いていく。
税を免除してでも欲しかった技術者たち
飛騨の匠(ひだのたくみ)という言葉が歴史書に登場するのは、およそ1300年前のことだ。養老2年(718年)に編纂が始まり、天平宝字元年(757年)に施行された「養老律令」の賦役令に、飛騨国だけに適用される特別な規定があった。 内容はこうだ。飛騨国は50戸(1里)につき10人の木工職人を、都へ1年交代で出仕させる義務を負う。その代わりに、他の国に課せられていた庸・調という税は免除する。 木工の技術力を、税収そのものより高く評価したということになる。当時の中央政府にとって、それだけ飛騨の木工技術は替えのきかないものだった。 出仕した匠たちが手がけたのは、薬師寺、法隆寺夢殿、東大寺といった名だたる寺社、そして平城京・平安京そのものの造営だった。日本建築史の黄金期を、飛騨の職人たちが下支えしていたことになる。 制度が終わる平安末期までのおよそ500年間で、都へ向かった匠は延べ4万とも5万人ともいわれる。彼らが歩いた道は「東山道飛騨支路」、通称「匠街道」と呼ばれ、その一部は現在も高山市の位山峠や下呂市の初矢峠に古道の姿を残している。都との行程は上り14日、下り7日。奈良までとなると、さらに日数を要したはずだ。 数百年にわたるこの往来は、単なる労役ではなかった。都の進んだ文化・芸術・新しい知識が、この街道を通じて飛騨に運ばれてもいた。飛騨の匠は、木工技術だけでなく、都との情報のパイプでもあったのだ。
都から戻った技術は、山に残った
平安末期に匠丁の制度は終わる。だが、都で鍛えられた技術そのものが消えたわけではない。 飛騨は良質なブナやヒノキに恵まれた森林地帯であり、木を知り尽くした職人の系譜が地域に残り続けた。都という表舞台からは離れても、木と向き合う手の記憶は、この山あいの町に静かに蓄積されていった。 その蓄積が、思いがけない形でふたたび試されることになるのが、およそ700年後の大正時代である。
2人の旅人が伝えた「曲がる椅子」の話
大正9年(1920年)3月、高山町の「大野屋味噌店」。店先での世間話が、店主・武田萬蔵の耳に入った。「ブナの木だって使いようで立派な椅子になる」。飛騨の山々には密林化したブナ林がいくらでもある。武田はその一言に心をひかれ、客を奥へ招き入れた。 客は森前房二と名乗り、「五年前に弟と関西へ出て、ブナを蒸して曲げ、椅子やテーブルを作る工場で技術を身につけた」と語り、「採用してくれる人を飛騨で探している」と訴えた。 武田はこのとき57歳、高山町の旦那衆のひとり。森前兄弟の話に興味を抱き、木材に精通した廣島粂蔵に意見を求めた。三人は技術や設備、値段まで熱心に語り合った。これが「飛騨家具の夜明け」の始まりだった。 技術の源はドイツの家具職人ミヒャエル・トーネット。1830年頃、木を蒸気で蒸して曲げる技法を開発し、世界的な名声を得た。日本には明治末期に曲木家具が初めて輸入されていた。 地元有力者の出資で中央木工株式会社(現・飛騨産業)が設立されたが、椅子づくりは簡単には形にならなかった。曲木は含水率の管理が命で、手探りの試作はほとんどが不良品だったという。 それでも職人たちは諦めず、「第壱號 曲木椅子」、そして今も現存する「第四號 曲木椅子」を完成させた。鉄道もまだない中、荷馬車で岐阜まで輸送し、各家具店で組み立てて陳列したという。創業当初の製品はトーネットの模倣ではあったが、今日の目で見ても難易度の高い技術だった。
1300年前の技術が支えた大正の椅子作り
ここで、ふたつの物語が交わる。 大正9年に曲木家具づくりを始めた飛騨の職人たちは、椅子づくりの経験も設備もほとんど持っていなかった。それでも、わずか2年で商品化にこぎつけている。この速さは、決して偶然ではない。 飛騨には、奈良時代から続く「木を読み、木の性質に合わせて手を動かす」という蓄積があった。木材含水率の見極め、道具の使い方、粘り強く試作を重ねる仕事への向き合い方――都造りで鍛えられた木工の基礎体力が、七百年の時を超えて、西洋発の新技術を吸収する土壌になったのだ。 工芸伝承館の解説パネルも、この二つの物語を並べて紹介している。「飛騨は太古より豊かな森林文化を育んできた地であり、飛鳥時代から奈良・京都の寺社建築を担った職人集団『飛騨の匠』を輩出し、木を活かす技を伝えてきた。その飛騨に、大正9年、曲木家具を学んだ職人たちが誕生した」という趣旨の解説が、両者を結びつけるかたちで展示されている。
そして、今につながる道
大正9年の椅子づくりは、その後も試練を重ねていく。 昭和5年、世界大恐慌のあおりで需要が激減する中、三本脚の三角椅子という新製品を開発し、危機を乗り越えた。昭和16年には木製戦闘機の機体製作を任され、終戦を迎える。戦後はGHQ向けの家具需要で息を吹き返し、昭和24年にはアメリカへの輸出を再開。昭和27年からはコロニアルスタイルの量産に取り組み、やがて「飛騨の家具」というブランド名そのものを確立していく。 昭和43年には、人間国宝・黒田辰秋の監修のもと、皇居新宮殿へ納める家具を製作。平成11年にはスコットランドの巨匠C・R・マッキントッシュの家具復刻にも挑んでいる。 一脚の椅子の背もたれの曲線には、千三百年前に都を目指して山道を歩いた匠の系譜と、大正時代に見知らぬ技術に挑んだ職人たちの意地が、両方とも刻まれている。 飛騨高山の木工を選ぶということは、単に「木の温もり」を選ぶことではない。都を造った技術が山に根を張り、時代の節目ごとに新しい挑戦を受け止めてきた、その積み重ねそのものを暮らしに迎え入れることでもある。
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