昭和六年、水上清が北海道旭川市2条4丁目に「水上製菓所」を設立し、かりんとう製造を開始しました。
しかし戦争のため、原料不足・召集により工場は封鎖へ。
昭和三十六年、三葉製菓株式会社を設立し、かりんとう製造を再開することに。
昭和四十年、本社工場を旭川市永山に移転し、甘納豆の製造も開始しました。
当時は今と違って「黒糖かりんとう」のみ製造。かりんとうがどこの家庭にもあり、3時のおやつの定番でした。また、農家では多くのお手伝いさんが働いていた時代だったので、休憩時のおやつとしてとても人気でした。
その後、洋菓子・スナック菓子の普及、色々な分野で機械化が急速に進み、かりんとう需要は減少へ。
北海道内には13件ほどあったかりんとう専門店も、現在は数件が残るのみとなりました。
「価格競争に巻き込まれるのではなく、もっと北海道に根ざし、品質にこだわるべき」という理念に変更することに。
平成元年頃から地元の北海道産食材に注目しはじめ、主原料の小麦をはじめ、砂糖、牛乳、昆布、しょう油、そばなども出来る限り北海道産素材を使用するように変更を始めました。
地元の素材を使ったかりんとうを作りたいという強い想いから一番先に注目したものが、主原料の小麦。
北海道産小麦は国内小麦の中でもたんぱく質の量、質ともに最高レベルな点、また北海道は小麦栽培に適した気候で、虫や病気が少ないために農薬量、散布数がともに少ないという安全面にも注目。
外国産小麦を使ったかりんとうが主流の中、北海道産小麦を使ったかりんとう造りを進めましたが、今までに経験のない繊細な小麦であったため、思ったようなかりんとうが中々できない状況が続くことに。
数年に渡る試作の後、非常に歯ざわりの良い、小麦の香りが感じられる「北海道らしいかりんとう」が誕生しました。
北海道産小麦の代表品種「ハルユタカ」を使用していたことから
「春ゆたか かりんとう」と名付け、今でも看板商品となっています。