スタッフライター:こじ
プロローグ:これは「塩辛さ」ではなく、
「生命(いのち)の味」だった。
九州のなかでも特に甘い醤油文化で育った私にとって、小豆島や関東で主流の、キリッとした塩辛さを持つ濃口醤油は、率直に言うとあまり馴染みがないものでした。
今回、縁あって小豆島の老舗「丸島醤油」の『木桶醤油』を取り寄せました。
まずはシンプルに、冷奴にかけて一口。
……未知の世界が広がりました。
ファーストインパクトは、澄んだ塩味。
しかし、それは決して舌を刺すような鋭い塩辛さではありません。
次の瞬間、口の中に広がったのは、強いて五味でいうならば――
「上品に奥深く染み渡るような、まろやかな酸味」のベクトルでした。
もちろん、酢の物のような「酸っぱい」という話とはまったく違います。
九州の甘い醤油と関東の塩辛い醤油、その二元性しか知らなかった私にとって、これはその軸上にはない「まったく別のカテゴリ」に属する味わいだったのです。
食べた瞬間の1秒のキレ味とは真逆で、むしろスーッと溶けていき、水面に波紋が広がるように、数秒後に口腔と鼻腔全体に複雑で多層的な風味が広がっていきます。
刺す感じや尖りが無い、完璧に磨き抜かれた丸大豆のような「丸」の感覚。
鼻腔を突き抜けたのは、熟成した果実感を極限まで微細にしたような、複雑な香り。
舌の上でどこまでも広がるまろやかなコクと、雑味のないキレの良い後味。
九州の甘口醤油に慣れた私にとって、これは「しょっぱい醤油」ともまったくの別物……
あえて言うならば、「生命(いのち)の味」でした。
この、単なる調味料という言葉では片付けられない「生命感」は、いったいどこから来るのか?
現地を訪れることは叶いませんが、手元にあるこの一滴から、その秘密が隠された小豆島の蔵へと、想像の旅に出てみたいと思います。
問い:なぜ、木桶仕込みは
「文化財」に等しいのか?
旅の始まりは、瀬戸内海に浮かぶ小豆島、またの名を「醤の郷(ひしおのさと)」。
約400年の醤油造りの歴史を持つこの地には、明治時代、400軒もの醤油蔵がひしめき合っていたといいます。
しかし、時代の流れとともにその数は減少し、今では20軒ほどの蔵しか残っていません。
丸島醤油は、その稀少な伝統を実直に受け継ぐ蔵の一つです。
「古式本醸造諸味蔵」の看板が掲げられた扉は、私たちが今味わった「生命の味」の源泉への入り口です。
『木桶醤油』は、「木桶仕込み」によって醸造されています。
この「木桶仕込み」という伝統的な製法により醸造された醤油は、現在、国内流通量のうちわずか1%程度にまで減少したと言われています。
なぜ、この製法は文化財に等しいとまで言われるのでしょうか。
それは「美味しい」という理由だけではありません。ただ「古い」からでもありません。
その答えは、この扉の奥にある、私たち人間の常識を超えた「菌」と「人」と「時間」が織りなす壮大な物語に隠されています。
蔵の呼吸:
木桶が「棲まわせる」もの
蔵の中へと、想像の歩を進めましょう。
画像越しにも伝わってくるのは、薄暗い蔵に整然と並ぶ、巨大な木桶の列。
ひんやりとした空気と、荘厳さすら漂う静けさ――
ですが、この蔵は決して「静か」ではありません。
「夏にはプチプチと発酵する音が聴こえ、日々呼吸をするように良質な醤油が小豆島で造られています。」(木桶醤油 商品ラベルより)
この「プチプチと発酵する音」こそが、蔵に棲みついた無数の微生物たちの、ごく小さな、しかし力強い「生命の呼吸音」です。
製造効率を求める近代的な醸造では、温度管理が容易なステンレスタンクが使われます。
タンクはいわば、菌を「管理」する場所です。
一方、木桶は違います。
何十年、何百年と使い込まれた木桶の表面や、蔵の壁、梁――
そこには、その蔵にしか棲むことができない多種多様な「蔵付き酵母」や乳酸菌が、一つの生態系を築いています。
木桶は、菌を「管理」するというよりも、いわば菌を「棲まわせる家」といえます。
この目に見えない小さな命たちこそが、400年の歴史を紡いできた小豆島の風土そのものです。
彼らが四季の移ろいに身を任せ、じっくりと時間をかけて(天然醸造)、丸島醤油の蔵だけの「個性」を醸し出していくのです。
菌と人:「祈る心」が育てる、唯一無二の味
菌は生き物です。
だからこそ職人は、「プチプチ」という発酵の音に耳を澄ませ、菌と対話します。
木桶の生態系は、機械のように画一的な制御はできません。
その年ごとの気候や菌の生命活動に寄り添い、ただ実直に、彼らが最高の仕事をしてくれる環境を整える――
そうして、1~2年かけて醸造していきます。
(再仕込醤油の場合は、ここから更に年月を経ることになります。)
なぜ、これほどまでに莫大な手間と時間のかかる製法を守り続けるのか?
その答えは、丸島醤油が創業以来、信念として掲げる一つの言葉に集約されているように私は思います。
これは目に見えない菌という存在への畏敬の念であり、ただひたすらに「育てる」ことに徹する職人の実直な「姿勢」そのものの顕れともいえます。
「祈り」の心、
菌がのびのびと働く木桶という「環境」、
そして小豆島の「時間」。
そのすべてが一体となった結晶こそが、あの雑味のないクリアな旨味であり、私たちが感じた「生命感」の正体なのです。
エピローグ:味わうことは、
未来へ「つなげる」こと
再び、手元の一滴に集中します。
今、この舌で感じる複雑な五感は、もう単なる「味」ではありません。
あの蔵のひんやりとした空気感、杉の木桶の香り、菌たちの「プチプチ」という呼吸、そして職人たちの静かな「祈り」が溶け合った、壮大な物語そのものです。
私たちが、この『木桶醤油』を選び、「美味しい」と感じること。
それは、単なる消費行動ではないのかもしれません。
国内流通量わずか1%程度となってしまったこの木桶醤油文化を、「美味しい」という最もポジティブな形で応援し、未来へつなげるための一票を投じること……
そう考えると、醤油一滴のもつ重みが変わってきます。
いつもの冷奴が、卵かけご飯が、忘れられない一皿に変わる――
その小さな感動こそが、400年の伝統を、次の100年へと継承していく力になる――
私たちは今日、手元の食卓から、壮大な文化の継承に参加することができるかもしれません。
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