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◎佃煮は東京都中央区の隅田川河口にある「佃島」で生まれました。佃島で煮たものだから佃煮というようになった
のです。でも、実は大阪にも西淀川区の中州に佃島があり、しかもこっちの方が先輩なんですよ。
◎大阪の佃島が誕生したのは徳川家康公の時代。天下分け目の関ヶ原の合戦以前から、家康は大阪・摂津の多田神社へ
参詣の度に神崎川を渡る際、近くの田蓑(たみの)島の漁民達から手厚い便宜をいただき、いたく感激致しました。
以降、ことあるごとに家康はここの漁民達を厚遇し、人は漁だけでなく田を作るものだよと教え、にんべんに田と書
いて「佃島」と島の名も変えてしまいました。
◎関ヶ原の戦いに勝ち、徳川の時代となり江戸に幕府が開かれました。隅田川の豊かな水が流れ出る河口の中州に、
なんと大阪・佃島の優秀な漁民達が幕府の命で呼び寄せられ、江戸前の新鮮な魚介を幕府に献上する名誉なお役目を
いただきました。与えられた中州をせっせと整備し立派な島にし、遠く故郷の名を偲んで同じ「佃島」と名付けました。
海の安全をお祈りするために、大阪の住吉神社の流れをくむ故郷の田蓑神社を分身して1646年6月29日に江戸・
佃島の住吉神社として祀りました。
◎こうして、豊富な漁を献上しつつ、残った小魚がもったいないと、当時は塩だけで煮込んで日持ちさせて自分たちの
食用にしておりました。海神として住吉神社へ参詣客が増え、御神酒とともに小魚を醤油で煮込んだものを振る舞い、
次第においしさが評判を呼び、ここに佃煮が誕生ました。上記の6月29日が今では「佃煮の日」となっております。
◎次第に佃煮が市中でも売られるようになり、参勤交代のご一行様にも日持しておいしい佃煮は人気でした。
とは言え、出来合いのお惣菜としての佃煮を買える層は限られ上流階級の嗜好品でした。
◎それが一気に需要が膨らんだのは明治に入ってからのことなのです。陸軍省から軍隊のために大量発注され
戦地に次々と輸送されたのです。保存性・おいしさ・栄養価から軍需品として認められたのです。
これを機に副食品として一般家庭にまでひろまったのであります。
◎豊橋は愛知県の東端に位置し、豊橋平野を中心に市の北西を豊川(とよがわ)が流れ、東側と北側は赤石山系の山地で、
三河湾・太平洋そして浜名湖と三方を海に囲まれた自然豊かな土地です。ことにも豊川の流れが三河湾で海水と絡み
合う領域(汽水域と言います)では佃煮に適した小魚・貝類が豊富に獲れました。なかでも浅利は、東京湾・九州有明海
に並ぶ日本三大漁場として有名で、たった一人で5時間程で小舟一杯のあさりの山でした。このため江戸から伝わった
佃煮の生産には最適の地だったのです。
豊橋の位置 おだやかな三河湾の夕景 遠くは渥美半島の山々 渥美半島の先端にある伊良湖岬
◎豊橋はかつては吉田と呼ばれ、古代の昔より陸上・海上交通の要所で、特に戦国期には戦略上の重要地点でもあり、
近世も東海道の宿駅・譜代大名の城下町として栄えた土地であります。関係する大名は幕府の要職に就く有力な譜代
大名が多く、寛延2年(1749)松平信復の入封以降は幕末まで同家の統治が続きました。
◎明治に入り、政府により巨大な歩兵第18連隊が移駐し、さらに陸軍第15師団も設置され、市域の約3分の1が軍用地
となり、人口でも4人に1人が軍人となり「軍都」として大きく発展致しました。このため豊橋での「佃煮」
生産も活況を極めました。
◎さらに、豊橋から渥美半島にかけて甘藷栽培が盛んで、澱粉工場も林立し、佃煮に甘さと照りツヤを出すのに最高の
原料「水飴」が手近にあり私達佃煮屋にとっては大助かり。
◎大量に水揚げされるものの傷みやすいためにもっぱら肥料用だった、はぜに似た小魚「メヒカリ」を、炊く前に串に
刺し炭焼きすることにより、おいしく頂ける製法を考案し大人気を博しました。
◎遠く信州・奥三河から豊川の流れにのって材木が運ばれ、市中心部近くの製材所で加工される際に大量発生する
「おがくず」は、なんと佃煮屋の大釜の燃料に最適で安く重宝しました。
◎こうして日本列島ど真ん中にある豊橋は東京・大阪の大消費地にはさまれ、佃煮の一大産地として成長しました。
◎戦国時代に今川義元公は天文22年(1553)、片浜13里(伊良湖岬から浜名湖まで)で獲れた魚貝はすべて豊橋中心部の
魚町(うおまち)にある安海(やすみ)熊野神社境内だけでの売買を命じ、神社の管理と漁船の安全を祈とうする条件で
2%の手数料を公認して、徳川の時代から明治の始めまで一帯の豊富な魚介の独占状態が続きました。
このため自然と町の名は「魚町」となり「市」を中心として仲卸商が軒を連ね、もう一つの豊橋名産である
「ちくわ・蒲鉾」も魚町から生まれ、濱金も大量の魚介を佃煮に加工しておりました。
現在の魚町通り 全国の中心市街地同様に昔の元気は今いずこ 「ヤマサちくわ」の本店です
◎こうして豊かな財力を背景に魚町には藩の御用達商を務める裕福な町人が、城中への出入りから当地でも
盛んだった「能楽」への傾注も深く、安海熊野神社の神楽殿を能舞台に改造し、趣味の延長から能楽に親しんでおりました。
◎こうした藩との深い繋がりから明治維新の廃藩置県の時に、松平(大河内)家より多数の能面・装束・小物一式が
魚町に譲り渡されたのでした。かつて松平伊豆守が老中を勤めていた時代に、盆暮のおつかいものとして各大名から
贈られた上物・優品も数多く含まれた素晴らしい品々でした。明治35年(1902)には本格的な魚町能楽殿を
境内に作り、それらの能面・能装束を用いて素人とは言えかなりの難曲をも演じ、戦前まで祭礼を中心に
演能が盛んに続きました。
◎昭和3年(1928)には鉄筋の頑丈な蔵が造られ、魚町在住の鳥居家所蔵の狂言面・狂言装束もあわせて所蔵
されました。昭和20年(1945)6月19日の豊橋大空襲においては町民総出で、蔵の中へ水を置き、窓や入り口を
目塗することで、町民の家はもちろん市中が全焼する中(濱金も全焼でした)、奇跡的に蔵だけは難を免れたのです。
写真は昭和17年に国の重要美術品に指定された6面。左から 平太 小飛出 大天神 小べし見 姥 山姥
◎昭和17年(1942)に6面が文部省より国の重要美術品に認定され、平成8年(1996)には面と装束249点が
県の文化財指定を受けております。こうして大名家のきわめて質の高い我が国有数の能楽コレクションがまとまった形
で残り、しかもそれが民間の手により保管されているのはきわめて稀有なことです。昭和41年(1966)に
現在の社務所に建て替えられ頑丈な保管庫に保存され今に至ります。
◎本店ではコレクションのアピールのために、主要面の一部の正面写真と精緻な模作面を展示しております。
装束の一部 紅白紫段籠目に撫子文様唐織 本店内部の展示の様子 安海熊野神社
魚町能楽保存会
代々魚町の町民により守り受け継がれてきた総数360点に及ぶ国内でも有数の能楽コレクションを維持管理する組織です
◎定例虫干し
年2回開催とし、4月の第4日曜日(1週間後の5月4日と5日は安海熊野社の例大祭です)と10月の第3日曜(豊橋まつりが
毎年第3土・日に開催その日曜日)
総ての能・狂言面を蔵から出し、間近で鑑賞出来る機会として一般開放しております
開催時間午前9時30分より午後3時頃まで、お一人500円の管理協力金を申し受けます。カメラによる撮影は許可致し
ますが、落下・接触等の一切ないようご配慮をお願いしております。別途、総ての能狂言面につきまして精緻な実寸大
写真をご用意しております(有料)、面打ちの方には最適です。総て愛知県と豊橋市の指定文化財です。お手を触
れる行為、型を取る行為、移動・接触等は固くお断りしております。
2023年の開催日は4月23日(日)と10月22日(日)の2回、開催時間は前述のとおり。
2024年の開催日は4月28日(日)と10月20日(日)の2回、開催時間は前述のとおり。
◎団体受付
上記の定例の他、まとまった団体の場合、随時の鑑賞機会を設けます。お問い合わせ下さい。
◎演能・展示
家元・師範及びそれに準ずる有資格者による演能のための面貸出、また展示の為の面・装束の貸出につきましては
別途の基準により対応致します。お問い合わせ下さい。
◎資料販売
●データベースCD-ROM
すべての能面と狂言面計91面のデータベースCD-ROMを作成致しました。基本情報の他に縦横厚反等のサイズを含む
Excel.xlsx形式。すべての正面と裏面画像(585×629Pixel)も.jpg形式にて入ってます。税込1,000円+送料385円
●能面原寸大写真
すべての能面狂言面の正面・裏面・右側・左側・頭と顎の原寸写真を1面ごとに5枚組でご用意いたしました。
1組(5枚セット)税込1,800円+送料385円
※いずれも郵便番号・ご住所・お名前・電話番号をお知らせください。代金振込み先をお知らせ致しますので総額をご入金願います。
◎お問い合わせ先
〒440-0894 豊橋市魚町91 株式会社 濱金商店 魚町本店あて、郵送・TEL・FAX・E-mail等(このページ上部記載)をご利用下さい。